—今回のアルバムの表題曲になった「Still Life」は「LABYRINTH*4」、日吉でやったインスタレーションの音素材がもとになっていますよね。そういう意味で、ARTEKでインスタレーションをやった経験から得られたものってあるんですか?

あれはすごく大きかったです。なぜかっていうと、「Still Life」は作曲の方法論がこれまでとは全く違っていて、いろいろな音が発音する法則、すなわちアルゴリズムを作って、その音楽自体はシステムが自動で生成していくという…「Still Life」も、そういうアルゴリズムによって生成されたものに、あとからイコライジングとか微調整を施しただけなんです。音楽の「構造」がすなわちアルゴリズムだと思うんですが、「構造」だけにフォーカスして作曲するっていうのが、アンビエントのネクストステージなんじゃないかなって思っていて。そのようにアウトプットされた音楽っていうのが、結構キレイな音楽になるってこともやってみてわかったから、もしこの先もチャレンジングな音楽をやる機会があるとしたら、もっと先に進みたいなって思います。

—それって、近年よく言われているような「『コンテンツ』か『アーキテクチャ』か」っていうテーマに通じるのかもしれませんね。コンテンツっていうのは、まさに個々の作品そのものを指すんですが、それに対して「アーキテクチャ」というのは、環境、つまりコンテンツを生成するためのバックエンド・システムのことを指すんですね。いわゆるメディアアートと呼ばれる分野においては、そういうテーマで語られることも多い。

それはあるかもしれませんね。いわゆるアルゴリズム的な作品って、多くはそのアルゴリズム自体をお客さんに楽しんでもらおうっていうのがあって、ARTEKで作ったときもそれはかなり意識しました。ただ、こと音楽に関しては、人間の手によって人為的に作られた音楽よりも、アルゴリズムでないと絶対に不可能な音の配置であるとか、音の配置の複雑性によって生成された音楽のほうが、やりようによってはもっと面白いもの、美しいものになりえると思ったんです。「Still Life」という曲も、いろんな音がいろんなタイミングで鳴っていることに、特に必然性があるわけじゃない。もちろん、その音楽に人間の作為が介しているかどうかなんて、聴いたところでわかりえないんだけど、でも僕は、あれは音楽としてすごく良い音楽だと思うんです。だとすると、アルゴリズムだからっていうことではなくて、アルゴリズムでないとできない良い音楽っていうのが、この先もありえるんじゃないかと思うんです。

—アルゴリズムのほうに偏重してしまうと、場合によっては、審美的な面で見るに堪えないものになってしまうと思うんですよ。メディアアートって、そういうのがわりと顕著に表れやすいと思うんですよね。

でも、それってすごく難しい問題なんですよね。僕もそういうのは好きじゃないんですよ。「でも実際、それ美しくないでしょ」っていう。でももしかしたら、作品に対して「こうしたい」っていう目標があって、その目標に到達できてないだけかもしれませんね。単に発展途上なだけかもしれない。でも、そこの見分けはできないですよね。単に自己満足で完結してしまっているのか、それとも挑戦している途中なのか。…グリッチもね、結構その境界線上にあると思うんですよ。

—なるほど。

でも、あれはすごいよね。モノとしてのインパクトが強いから流行っているわけじゃないですか。だって、ucnvさんの映像すごいでしょ(笑)、「なんだこれは?」って。中の仕組みとかじゃなくて、アウトプットのインパクトがすごい。だから、やっぱり「グリッチャー」から受けた影響は大きいですね。

—なるほど。音楽におけるグリッチにもいろいろな歴史があると思うんですけど、今の潮流として、グリッチと聞いてパッと思い浮かぶのは、僕は「raster-noton」だったりするんですよね。カールステン・ニコライが好きで、個人的にかなり影響も受けているんですけど、最近の彼ってダンス・ミュージックをすごく意識しているじゃないですか。それで、ここ最近はずっとフォローし続けているんです。

でもそれって、だいぶ違うもののような気がするんですよね。今言った文脈におけるグリッチっていうのは、波形的にスーパーミニマルなテクノ・ミュージックですよね。でも、概念としての「グリッチ」っていうのは、すなわちエラーですよね。エラーが引き起こす複雑性を表現したもの…オヴァルの「CDスキッピング」に端を発するものですね。そういう、複雑性に根を下ろした「グリッチ」におけるハイファイな部分って、音楽としてまだそんなに実現されていなくて、それって実際にやってみると意外にキレイだったりする。最後の曲なんかは、まさにそういう感じだし。だから、そこに関しては自分としても力を入れたいと思っているし、もっと知れ渡るといいなと思います。

—大庭さんは、ご自身の音楽活動だけでなく、ARTEKや「現代芸術研究会」といった団体を学部時代のころから主宰されていますよね。そういったアートとの関わりにおいても、精力的に活動されていると思うんですが、ご自身の中でアートというものがどういった位置付けにあるのでしょうか?もしくは、アートというものをどう捉えているか。

難しい質問ですね…(笑)。アートとは何か。

アートっていうのは、自己実現とか、そういったものでもなんでもないと思っていて、人間の脳の仕組みの中で、言葉とか論理で説明付けられない部分にアプローチできる唯一の方法だと思っています。現代の科学では解明されていないような、自分自身でよくわからない人間の部分って、やっぱりよくわからないからこそ面白いと思っていて。

—例えばそれは、いわゆる「クオリア」と呼ばれるものに近いのでしょうか。言語化できない部分…というか。

それに近いのかもしれませんね。「ものはなぜ美しいか」を言葉で説明するのは難しい。その未踏の分野に挑戦するのは、やっぱり面白い。それが僕にとってのアートでしょうか。まあ、音楽も一緒かもしれませんね。だから、あんまりアートと音楽で区別は付けない…いや、付けるか。音楽は踊るもんね(笑)。

—最後に、今後の展望をお聞かせいただけますか。

今後も今まで通り、マイペースに制作を続けていこうと思っているんだけど、他の人と比べてたくさんの種類の人たちと一緒に今まで活動をしてきたことが自分を特徴付けているのかもしれないっていうことが、今回の作品を通して何となく見えてきたから、もっと他のいろんな人とコラボレーションしていきたいなって思っています。それは、これから自分が出演するイベントで出会うかもしれない人たちだったり、全然予想もつかないような人たちだったり、それこそグリッチ方面の人かもしれない。

—それは音楽家、非音楽家に関わらずですか?

そうですね。そうしたら、もっといろんな要素が入った音楽が作れるんじゃないかって思います。

—ありがとうございました。
(2011年2月、渋谷にて)