—作曲の方法についてお訊きします。ジャンルによっていろんな方法論があると思うんですが、まず始めにコンセプトとかアイデアがあって、それから実制作に入るのか、それとも、完全に試行錯誤で、機材をいじっているうちに面白い音ができたら「あ、これ採用」みたいな、二通りの作り方にだいたい分けられると思うんですね。僕は、どちらかというと後者なんですけど。大庭さんの場合はどうですか?

100%前者ですね。まあ、コンセプトっていうほど、ちゃんとしたものじゃないけど。だいたいこういう感じの音楽を作りたいっていうのがあって、それをできるだけ忘れないうちに打ち込みなり、鼻歌なりで作っていくのがほとんどです。例えば、「nebula」という曲に関して言えば、「限りなく宇宙っぽいミニマルテクノ」を作りたいという構想が始めにあったんです。そういう感じで、おおまかなイメージがあって、あとは鍵盤を弾いたり、打ち込んだりしてみて、試行錯誤をしながらそのイメージに近付けていきますね。

—なるほど。やっぱりアプローチが違うんですね。僕みたいに、機材をいじりながら作っていく手法って、すごくテクノ的というか…僕は理論がわからないし、鍵盤や楽器もあまり弾けないから、ツマミをいじって…っていう感じになっちゃうんですよね。

そこは、一長一短なのかもしれませんね。作曲のアプローチによって、ジャンルの統一感みたいなのは絶対出ると思います。僕はわりとフラフラしながら作っているから、いろんな種類の音楽がごった煮になっていて、これはいったい誰に向けて作ってるんだろうって(笑)。

—鈴木さんの帯コメントにもあったと思うんですけど、振り幅が大きいんですよね。いろんな音楽のジャンルを横断しまくっている。全体的にジャズのエッセンスが散りばめられてると思うんですけど、聴いていてなんだか懐かしいなって気持ちがしたんです。例えば、90年代初期のブリストル・サウンド…トリップ・ホップとか、そういう「90年代っぽさ」みたいなのがあるなって。「どこか懐かしいけど新しい」っていう言葉が、まさにピッタリ合っているなと思ったんです。

ああ、なるほど。ちなみに「90年代っぽさ」というのは?

—僕の中での「90年代っぽさ」ってのは、トリップ・ホップとか、アシッド・ジャズとか…UKクラブ・ミュージックの印象が強いですね。

そういう意味では、マッシヴ・アタックとか…ジャングル、ドラムンベース、2ステップが自分の青春だったから、それを引きずっているのかもしれないですね。そこがベースにあって、プラス何かしらの要素が加わっている感じでしょうか。テイトウワとか大好きですからね(笑)。

—音楽的なバックグラウンドについてお訊きしたいんですが、一番始めに「音楽」というものを意識したのは?

中2じゃないですかね。まさに。

—発病したんですね(笑)。

中学に入りたての頃に、父親からギターをもらったんです。それで、ミスチルの曲とか、楽譜本片手にコードを弾いたりしてたんですけど、あまり続かなくて。それって結構、中学生がやりがちなことじゃないですか(笑)。ちゃんと覚えていないんだけど、確か中2とかそれくらいのときに、当時ネット上にフリーで配布されていたMIDI作曲ソフトを使って作曲する人たちのコミュニティを見付けたんです。そこで、オルゴールのような曲を作り始めたのが一番最初かな。たぶんそれが、一番自分の基礎になってるんだと思うんですよ。なぜかっていうと、フリーウェアだから、やれることがかなり限られているし、細かいパラメータを調整するのがすごくめんどくさい(笑)。オートメーションとか書けないし、MIDIキーボードとかそういうのも持っていなかったから、一つずつイベントを書いていったんですよ。でも、それだけ制約が多くてできるごとが少ないと、やれる範囲のことに全勢力を傾けるから、すごく凝ったものができるんですね。それこそコラージュ・テクノみたいな、変な方向に凝ったものがどんどんできていって。それで、そういうことをずっとやってきたから、今作っているような…いろんな要素をある程度かみ砕いてミックスしたような音楽につなげられているんじゃないかな。あとはもう、自分の作りたいものだけをつくるっていう。

—そのスタンスはすごくはっきりしていらっしゃいますよね。

悩ましいところなんですよね。自分の作りたいものをつくるっていうのはすごく楽しいんだけど…これは鈴木さんとも話していたんですが、自分の作りたいものをつくると、すごくいろんな要素が混ざったものになるんだけど、そういうのって、ミュージシャンの人たちにとってはパッと聴いて「面白い」と思えるものになるらしくて。「Musician's Music」っていうのかな。楽曲の細かなディテールを掘り下げて聴いてみると、「あ、面白い」みたいな。ただ一方で、そういう音楽ってあまり統一性もないし、キャッチーさの有無はともかくとして、たくさんの人にアピールできる音楽かっていうと、そうでもないんですよ。その辺のバランスをどうするかが難しい。

—ミュージシャン受けはいいんだけど、リスナー受けがよくない?

結構、人選んじゃうと思うんですよね。選びたくはないんだけど。

—ちなみに今回のアルバムは、全国流通で発売するわけですよね。メジャーと全く規模が違うとはいえ、多少なりとも、大衆の存在ってのは意識すると思うんですよね。

それはありますね。それで、さっき言った「Musician's Music」なんだけど、繰り返し聴いたりとかじっくり聴いたりすると、すごく面白い音楽だと思うんですね。だから逆に、パッと聴いて「あ、すごくいい」みたいなのとは、種類が違うんじゃないかと思っていて。だから、そういうタイプでない人たちにも、できるだけ自分の時間にゆっくり聴いてもらえたら、すごくいいんじゃないかなと思います。音楽だけを聴く時間を作って、それで聴いて面白いって思ってもらえるだけのものは作れたと思っているから。

—それは、いわゆる「日常のBGM」としてではなくて、音楽「作品」として向き合ってもらいたいという願いを込めたということでしょうか。最近、音楽の聴き方ってすごく変わってきたじゃないですか。イヤフォンで聴くことも多くなりましたよね。「日常のBGM」として音楽が機能してきた反面、きちんとCDプレイヤーの前に正座で座って「さあ、聴くぞ」っていう機会は少なくなってきましたよね。

少ないですね。僕もしないですから(笑)。そうですね…どういう風に聴いてほしいだろう?まあでも、別にいいんじゃないかなと思うんですよね。イヤフォンで聴こうが、BGMとして聴こうが。音楽を全然真面目に聴かないのって、僕は全く否定的には思わないんですよ。なぜかっていうと、ずっとアンビエントをやってきたから(笑)。

—なるほど(笑)。でも、アルバムとしての統一感はある程度意識されてたわけじゃないですか。

それはそうですね。

—だから、そういう意味でいうと、ちゃんとアルバム一枚を通して「聴く」という行為に意識的になってほしいというのは、もしかしたらあるのかなっていう気はするんですよ。

たぶん世の中にいる、音楽を作って自分の作品を売る人っていうのは皆、リスナーにじっくり聴いてほしいって思ってるし、もしくはクラブで踊ってほしいと思ってるし、アルバムを通して聴いてほしいと思っているはずなんですよね。それとどう違うんだろう…まあでも、正座して聴いてくれってことでは全くないんだけど(笑)、でも曲の中にたぶんいろんな発見が詰まっていると思うから、細かいところでも、何回か聴いてみて「あ、こんなところもあるんだ」っていう感じで、曲のいろんなところを楽しんでほしいなって思います。

—まあ、単純にイヤフォンで聴くことによる解像度の違いってのもあるでしょうしね。気付かなかった音に気付くっていう。特に、高周波のノイズや、クリック音なんかを使ってると、スピーカーで鳴ってるのに気付かないことってありますからね。逆に言えば、エレクトロニカみたいな音楽って、イヤフォン全盛時代の台頭に合わせて合理的に発展してきたのかもしれない(笑)。

なるほど(笑)。イヤフォンにフィットするために生まれてきたっていう。それは、言えなくもないかもしれませんね。

—今のはちょっと強引な解釈かもしれませんが、でも、何らかの相関関係があってもおかしくはないですよね。

いや、それにしても難しいですね。ほとんど本能で作ったものを、言葉で説明するというのは…鈴木さんが言ってくださったのは、非常にスルメっぽい音楽が多いと思うので、時間が許すのであれば、何回も聴いてみてほしいということですね。

—なるほど。実際、僕もよくリピートで聴いているんですよ。なんというか、自己主張はすごくおとなしめというか、そんなに強いメッセージ性があるわけでもないと思うんです。でもその分聴きやすいし、だからこそ繰り返して聴きたくなるんですよ。

ありがとうございます。確かに、そうだと思います。ノイズやグリッチ、アンビエントもそうなんだけど、それだけだと、あまりキャッチーじゃなかったり、相当覚悟がないと聴けないような音楽がたくさんあるんですよね。バンドでやっている音楽に関しても、そういうところがあるんですよ。そういったものの良いエッセンスだけを抽出してきて、普通に聴ける音楽に組み入れてるところがたくさんあるから、そういう意味で、聴いていて面白いポイントってのはたくさんあるんじゃないかな。それは、すごく意識して作った気がします。例えば、激しいノイズの音楽を聴いていても、そういうののキレイな部分を抽出して他の音楽に使えないかなっていうことはずっと考えていたりするし。

—悪く言うつもりはないんですが、例えば、60分間1曲だけのドローンみたいなのってあるじゃないですか。でも、それらの多くはとてもじゃないけど聴けないようなものだったりする。そういうのって、結構コンセプトありきというか…そういう、いわゆるエクスペリメンタル/音響と呼ばれるような音楽っていうのが、乱暴を承知で言えば、コンセプトありきで成立してきたってのがあると思うんです。でも実際に、それこそ正座で座って聴くなんてのはめったにないと思うんですよ。

その問題意識っていうのは僕もすごくあるんですよ。僕は、60分間1曲だけのドローンを意外と聴くタイプの人間なんだけど、でも、だんだん自分も忙しくなってきたから(笑)、あまり落ち着いて聴くことがなくなったし、そういう風に聴く人っていうのは、よっぽど好きな人じゃないといないだろうなって。でも、そういう音楽が持っている良い点ってあるだろうから、できるだけそういうのをもっと伝わりやすい形で人に伝えたいとは思います。

—ソロをはじめとして、「ねむり」や「三毛猫ホームレス」など、多彩な活動をされていますよね。そういった各々の活動から得られるものってあると思うんですが、それらはソロ活動にどのような形でフィードバックされるんでしょうか?

他の名義でやっている音楽とか、他の名義で活動していて聴く他のアーティストの音楽から受ける影響も大きいんだけど、でもそれ以上に、ジャズの分野で活動する人だったりエレクトロニカだったり、Maltine Recordsの人たちだったり、音楽家の「つながり」が増えていったのが一番大きい。その人がどういう音楽の作り方をするのかとか、その人の音楽に対する姿勢とか、仕事のやり方とか、そういったことが今のソロ名義でやっていることに大きくつながっています。それこそDenryoku Labelでリリースできたことも、いろんな場所でDJさせてもらったことも、他のいろんなことの積み重ねがあって今ある縁になっているはずだから、何一つとして無駄にはなっていないんじゃないかなと思います。逆にこの「Still Life」というアルバムが出ることで、まだ出会ったことのない人たちに対してアピールなり、新しい「つながり」のきっかけにしていきたいという思いがあるんです。

—じゃあ、名義によって明確に線引きをしているというよりは…

そうですね。やっている音楽の内容が違うっていうだけで、境界線が特にあるわけではないです。ただ、三毛猫ホームレスに関しては、やっている内容が他とはあまりにも違いすぎるから(笑)、線引きをしたくなくても、すごく線があるっていう。でも、あれのおかげで知り合いがだいぶ増えました。